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地域おこしの背景にあるもの

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 もう何年も、いろいろな地域で地域おこしが行われている。
 しかし、地域おこしということが盛んに言われ始めたのは、2000年代以降からだろう。そして、この背景にはいろいろな要因がある。

 まずは、2000年代前半から中頃にかけての小泉改革による構造改革特区である。地域自主的な取り組みについて、地域限定で規制緩和を行うというもので、これにより多くの特区が生まれた。ただ同時に、この構造改革特区と並ぶ小泉改革の目玉としては、三位一体改革のような財源移譲と言いながら、実は地方から中央への財源吸い上げである。補助などは少なくなり、自主財源は増えたが、その差引を考えると、実質的には地方財政はマイナスとなった。このような小泉改革により、地方は自主的にやっていかなければならないという機運ができたとともに、国は地方を助けてはくれないという思いが生まれたと思う。特に、誰もが国には大きな財政赤字・借金があることは知っている。国には地方を助ける余裕がなくなっていることを、暗黙的に感じ始めたのもこの頃からだと思う。

 そして、2000年代後半には、格差問題などが言われ始めた。「勝ち組」「負け組」という言葉も使われ始めたわけだが、これは個人だけではなく、地域にも当てはめて論じられた。衰退する地方など、地域間格差も拡大し始めていると言われた。その結果、誰もが「負け組」地域にはなりたくないという思いが出てきたと思う。
 このような格差是正や不況などの問題で、期待をかけたのが民主党政権だったと思う。しかし、民主党政権の政権運営や東日本大震災による政府の対応に、結局、国民は失望した。

 また、2000年代後半から国際競争における日本の弱さが指摘されるようになった。例えば、空港のハブ化や国際港湾整備などではなく、分散型のインフラ整備を行ってきた日本は、世界では「負け組」となっていた。そこで、2000年代後半からは、選択と集中による投資が行われるようになった。また同時に、政策効果という効率性から投資が見直され、その結果、より強いところに財政支援が向けられるようになる。言い換えると、地方への所得再配分を行うのではなく、首都圏や関西圏などを中心に、財政支出が行きやすい状況が出てきた。勿論、地方の整備新幹線の開業などもあったが、地方からすると、国からはお金は来ないことが分かってきた。

 そしてこれらの結果、国に頼むのではなく、自ら地域を活性化しようという地域おこしの動きが高まってきたのだと思う。人・資金など様々な面で地域だけで行うのは難しいことが分かりつつ、国に対する失望感。

 国も地域おこしを応援しているが、国の公務員・議員などは、このような国に対する失望感があることを忘れてはならない。そして地域の人たちは、地域おこしにとどまらず、地方分権を進める方向に向かってほしい。地域おこしだけでは他の地域との差は出にくい。特に現在のように、地域おこしの過当競争がおきている中で、勝ち抜くのは難しい。そのとき、地方分権による新たなルールを作る権限を持つことで、地方が豊かになるための様々な「儲けのポイント」が生まれてくる。言い換えるならば、地域にとって、より豊かな様々なビジネスモデルを生み出すチャンスが生まれる。そうすれば、現在のような過当競争は回避・緩和できる。

 地域にとって重要なのは、地域おこしではなく、地域の権限を取り戻す地域革命が必要なのかもしれない。


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